佛師としてこれまでいろいろな仕事に携わってきました。今まで全ての仕事が印象に残っていますし、私自身の血となり肉となっています。その中でも印象深かったことをお話しいたします。佛師「立花麟士」の原点とも言える経験、ぜひお読みいただければ幸いです。
篠栗の霹靂木(へきれきぼく)
九州の福岡に篠栗(ささぐり)という場所があります。そちらに高野山真言宗の別格本山「南蔵院」というお寺様があります。南蔵院様と師匠は付き合いが深く、様々なお仕事をいただいておりました。
南蔵院様の本堂の前には檜があったのですが、ある時、その檜に雷が落ちたことがあります。雷は何度も落ちたそうですが、かろうじて檜は生き残ることができました。
雷が落ちた木は霹靂木(へきれきぼく)と呼ばれ、神様が宿ると言われております。南蔵院様でも、その檜を御神木として扱われることになりました。そして南蔵院様より「雷が落ちたこの木には雷神様がいらっしゃる」ということで、その生き残った立ち木に雷神様を彫ってほしいというご依頼をいただいたのです。
私が二十一歳のことで、師匠に弟子入りしてまだまだ本当に駆け出しの頃でした。その当時、師匠は南蔵院様で彫刻教室を開いていらっしゃったのですが、そのタイミングで一緒に雷神像の製作も進めるという話になり、私もお供することになりました。
現地についてわかったのですが、南蔵院様は熱心な信者様がいらっしゃるお寺様でした。白い衣に身を包み、背中には南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)の文字、傍らに錫杖(しゃくじょう)を持ってお参りするような方達が沢山いらっしゃいました。
本堂の前には御神木となった檜が立っています。焦げている箇所や焼け落ちてしまったところも目立ち、見るからに痛々しい状態でした。こんなになってしまってさぞや痛いだろうけど、それでも頑張って生きているんだ、そう感じました。
檜の返り血
目線よりもわずかに高い位置に足場が組んであり、そのあたりに雷神様を彫ることになりました。立ち木にレリーフのように浮き彫りの状態で彫ることが決まり、彫る前には下準備として一度皮をめくるということになりました。彫る部分だけ皮をめくり、そこに下絵を写して彫るという流れです。
師匠が彫刻教室を開いている間に、私が最初の作業を行うことになりました。
作務衣に着替え、道具を足場に置いて皮をめくっていきます。仕事ですから仕方のないこととはいえ、正直、私はその行為がいやでいやでたまりませんでした。雷が落ちただけでも想像を絶する痛みのはずです。それなのに、また痛い思いをさせてしまうのですから木がかわいそうで仕方ありませんでした。
葛藤しながらも皮をめくり終え、下絵を描きあげました。そしていよいよノミを入れるところで、私はまたもや困惑してしまいました。
いざげんのうを持って、パーンとノミを入れる。そうすると雷雨にさらされ、たっぷりと水分を含んでいるからでしょう、顔にビシャーと水気が返ってくるのです。妙な表現かもしれませんが、それはまるで檜の返り血を浴びているようでした。
これがまたさらに檜を痛めつけているように感じ、複雑な気持ちでいっぱいでした。
ベンチに座ったおばあさん
私が仕事をしていると、お参りに来られた方はすぐに気がつくわけです。どこの馬の骨ともわからない若者が、御神木に刃物をバンバン打っていると。南蔵院様にいらっしゃる方々が信心深いからこそ、私の行動を不審に思われたようです。
突如として厳しいお言葉で叱る方もいらっしゃいましたし、ちゃんと許可を取っているのかどうかということも何度も尋ねられました。そのたびに下まで降りていき、「実はこれこれこういう経緯で南蔵院様からのご依頼でやらせていただいています」という説明をしていました。
きちんと説明をすると皆さんご納得いただき、「がんばってください」など応援や励ましのお言葉をいただきました。それでまた足場に上がり作業に戻るわけですが、少し時間が経つと「おーい」と呼び止められ、また下に降りていって説明してということを何度も繰り返していました。
仕事をしながら、何回も上がって降りて上がって降りてをくり返して、もう随分と疲れてきていた頃にパッと後ろを見ると、少し遠くのベンチにおばあさんが座っていました。何をするわけでもなく、険しい顔でじーっとこちらを見ているようでした。
私はおばあちゃん子だったので余計気になってしまったのかもしれません。あのおばあさんももしかしたら良いふうに思っていないのかな、ちゃんと説明に行ったほうが良いのかな、でも私の勘違いかもしれないからどうしたものか、そんなことを考えながらも、いつの間にか再び仕事に集中しておばあさんのことを忘れていました。
しばらくして思い出し、ベンチのほうへ振り返るとすでにおばあさんの姿はなくなっていました。声をかけたほうが良かったかな、そんなことも考えましたが、いまさら仕方のないことだなと思い直し仕事に戻りました。
お天道様はちゃんと見てるからがんばりや
突然背後からトントンと、誰かが私の肩を叩きました。振り返るとさっきまで遠くのベンチに座っていたそのおばあさんがいたのです。
すこし腰が曲がったご高齢の方ですが、どうやってか足場をあがってきたようで、両手には買い物袋をぶらさげています。中にはお菓子やらジュースがいっぱい入っていたのですが、「お兄ちゃん、これあげるわ」と買い物袋を差し出されました。
突然のことにずいぶんと驚いたのですが、お礼を伝えるとおばあさんは次のように続けました。
「ずっとあなたがやっていることを見ていたけど、いろんな捉え方をする人もおるし、辛いこともいっぱいあったと思うけど、仏像彫れる人は徳が高い人だと思うし、あんたがやってる仕事は誇れることや。仕事に対して感謝をしなさい。そして胸を張って仕事をしなさい。お天道様はちゃんと見てるからがんばりや」
その日、仕事をしながら感じていた様々な葛藤があったからかもしれません。おばあさんの優しくも力強い言葉が深く心に響き、涙がボロボロと溢れてきました。そして人目もはばからずにわんわんと泣いてしまいました。
しばらくしておばあさんのほうに目をやると、またもやいつの間にかいなくなっていました。ちゃんとしたお礼も言えていないのに、すでにそこにはいなかったのです。
仕事に感謝する
それ以来、今でもずっと、おばあさんに教えていただいたことが私の指針になっています。お客様と向き合うとき、仏像と向き合うとき、道具と向き合うとき、どのような時であれ、私の胸の真ん中にはあの時かけていただいた言葉があります。
今年(2017年)の正月あけてすぐ、家族旅行で九州に行きました。家族は九州のご馳走が目当てだったわけですが、少しだけお父さんのした仕事も見においでと南蔵院様に行きました。もちろん雷神様は師匠が彫った作品ですが、それでも子どもたちは「えー!」っと驚いてくれていました。
檜はもうずいぶん苔や皮が生えてきていて、だいぶ元気になっていました。それが何より嬉しかったのですが、あの木の前にたつと、あの時の若かった自分とおばあさんの姿がありありと浮かんできました。
もしかしたらあのおばあさんは祖母だったのではないか、そんなふうに思うほど不思議な出会いでした。成人式の直前、夢に出てきた祖母が、またしてもいてもたってもいられなくなって何か伝えに来てくれたのかもしれないなんて思うのです。
私自身の原点となった「篠栗の霹靂木(へきれきぼく)」。佛師としてまだまだ駆け出しの若者が、このようなお仕事をさせていただき本当に幸運なことだと思います。